美味しい扉を開きます 10 光悦寺様
Web店の青木です。
本日の山科は濃霧です。暑い雲に覆われています。
でも心は晴れーデスね。
今日は当社の「青木光悦堂」の名前由来をご紹介します。
「光悦」と聞いてピンとくる方は、芸術に造形が深い方!
お察しの通り。
江戸時代(年号寛永)に洛北鷹峯に芸術村(光悦村)を築いたこと
でも知られる本阿弥光悦の菩提寺である「光悦寺」様より名前を頂
戴しました。
本阿弥光悦とは「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家とし
て、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチア
ーティストとしてその名を残す。元年(1615年)、光悦は、徳川家
康から鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの法華
宗徒仲間を率いて移住した。(ウィキペディア)
人となりは、「利益という事についていうなら、本阿弥光悦一族は、
権威ある刀の目利きの地位を生かして暴利を貪ることができた。
他の目利きは新刀に有名な刀工の銘を打って贋作を作ったり、
良い出来の刀の価値を高めるために、有名でない刀工の銘を削
り取ることもしばしばあったらしい。しかし、本阿弥光悦一族は、そ
のようなことをやらなかった。善悪の報いがあることを知っていたが
故に非道は行わなかったのである。「僻事(ひかごと)をなさざる」こ
とは一家の守る道であった。例えば置男目利き十人中五、七人が
政宗の刀と極めても、確かに[正宗]だと得心がいかない限りは、
[正宗]と極めないといった厳格な姿勢が本阿弥光悦の刀目利きに
おける態度で、強い倫理観を持っていた。(新興美術院理事)
そんなそんな高貴で厳粛な方のお名前を頂戴しています。これを
調べて知った時は背中にゾクゾク感が走り、今の自分の態度や言
葉使い、立ち居振る舞いを恥じました。それからは本阿弥光悦さん
の名を汚さないよう、空の上にいる本阿弥光悦さんに認めてもらえ
るように愚直にコツコツやっています。
だから、当社が扱うお菓子は全品「美味しい」のです。
自分で食べて良し!人にあげても良し!なのです。
今はどう思ってくれているかな?本阿弥光悦さん!
光悦寺さん入り口の写真です。